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 オートメーション

 蒸し暑い真夏の空のもと、スレート葺きの灰色の小さな工場から、今日も ”ガシャーン、ガシャーン”と機械の音が響いている。
 クーラーのない工場は、窓が開けっ放しにされていて、そこからけたたましく稼動する機械やパートの中年女性達を見回る社長の岡野の姿が見える。岡野は50代半ばの背の高い男で、髪の毛は白髪交じりのスポーツ刈り、少しやせていて、無精ひげを生やしている。酒好きで、タバコ好き、車好き、ギャンブル好きで、短気な性格である。
 岡野が所有する工場は、小さな町の北側の丘陵地帯にある。住宅地からさらに農道を2キロほど行った小さな工業団地の一角にあるが、工業団地はバブル崩壊後、だれも借り手がつかず、小さな岡野の工場以外はさら地である。辺りに何も無いこの工場は一つの閉鎖された岡野の王国のようでもある。従業員は、岡野には甥にあたる姉の息子で、30歳の独身である早川と、パートの50代の女性が5人であるが、だれもが岡野に不満を持っていた。それは岡野の独裁ぶりと、この工場の環境の悪さから来ていた。
 
 この日もそんな不満が従業員に積もっていた。
 猛暑が3日続いたこの日、クーラーのない工場は40度近い暑さになっていた。それでも丘陵地の森から吹く風が工場の中を駆け巡ると、一時の清涼感を味わえるが、午後からは風はぴたりと止んだ。
 午後の仕事が始まってまもなく、客先に品物を届けて来た早川が工場の中に不満そうな顔をして入って来た。早川はパートのリーダーである小川に言った。
 「おいおい、最近どうしたんだよ。今日、客先に、不良品を30個も返されたぞ!」
 小川は汗をかきながら応えた。
 「はやちゃん、ここんところ、みんな暑さで仕事に集中できないのよ。丁寧に製品のバリ取りなんてできないわよ。」
 早川は少々困惑気味で応えた。
 「それは分かるけどさあ。でも客先の信用がた落ちなんだぜ。」
 他のパートも集まりだし、早川に抗議し始めた。
 「はやちゃんはいいよ、トラックはクーラー効いてるから。」
 「そうよ。それに社長の事務所もクーラーあるじゃないの」
 「はやちゃん、暑くてみんな仕事にならないわよ。今年こそクーラー置くように社長に言ってよ。そのうちみんな熱中症で倒れちゃうわよ。」
 そのとき、”ガラッ”と音をたて、工場と事務所をさえぎるサッシ戸が開いた。一瞬事務所から流れる涼しい風が従業員の顔をかすめた。そしてタバコをくわえた岡野が事務所から出てきた。
 「おまえらなにさぼってんだあ!今日も不良品出したそうだな。」
 社長の甲高い声にパートの人たちはうつむいたが、しばらくの静寂の後、小川が口を開いた。
 「社長、もうこの暑さは大変です。仕事になりません。クーラーがないと、暑さで集中できません。」
 岡野はしかめっ面をして怒鳴った。
 「なにぃ、クーラーだぁ?小川、工場にクーラー設置するのはどれほど経費掛かるのか分かってるのか。おまえの狭い家のクーラーとけたが違うぞ!。」
 「でも社長、こんなに暑いとみんな倒れてしまいますよ。」
 「おう!おまえらのダイエットになってちょうど良いだろう。」
 このセリフに早川も怒り、口を開いた。
 「おじさん。クーラーぐらいつけてあげてよ。このままじゃあ不良品ばかりで信用がた落ちだよ。あさっての納品には不良品を10%以下にしないと八田工業はうちとの取引を解約するって言ってるよ。そうなれば終わりじゃん。」
 「なんだと!。」
 「だからさあ、不良品でないようにしないと、そのためにも環境が.....。」
 「てめえ!なにえらそーなこといってるんだ!だいたい、情けない顔して東京から帰ってきたお前を姉貴に頼まれて無理においてやってんだぞ、文句あるなら帰りな!」
 「分かった。頼まれなくってもそう考えてたさ。」
 早川はそう言うと工場から出て行った。早川が早退したことで、パートの人たちも動揺し始めた。岡野はそのような雰囲気を察して言った。
 「おまえらも好きにしろよ。どうせこんな田舎に仕事なんてないけどな。だまって働いてれば、農業の手伝いよりましだろう。」
 しばらくの沈黙のうちに小川が言った。
 「私、帰ります。もう体がもちません。」
 小川が工場から出て行くと他のパート業員達も工場から出て行った。
 「ちっ、情けないやつらだ。まあいいや、どうせ明日、すいませんでしたと言ってもどってくるだうよ。」
 岡野はそう言うと、クーラーの効いた事務所のソファに横たわった。

 翌日、岡野が出社してみると、普段は岡野より早く工場に来て掃除をしているはずの小川の姿がなかった。そしてこの日、だれも出社してこなかった。
 夕方、岡野は工場の水銀灯を点け、工場内を見渡した。そこには明日納品予定の品物の材料が並べられていた。しかし、それを機械に入れるはずの従業員はだれもいない。岡野はしぶしぶ材料を機械に入れ、稼動させ始めたが、本来5人で受け持つ仕事を岡野一人にこなせるはずもなかった。
 夕方とはいえ工場は蒸し暑く、窓を開けているため、水銀灯に誘われて工場の中には沢山の虫が舞っていた。岡野はイライラし始め、事務所に入り、冷蔵庫からビールを取り出し飲み始めた。ビールを全て飲み尽くすと、今度はお中元で受け取ったブランデーを出してストレートで飲み始めた。岡野一人には明日の納品分の製品を作ることは出来ない。そんな焦りが岡野の飲酒を加速させ、視力もぼやけるほど酔い、いつしかソファーに横たわり眠ってしまった。
 岡野がふと目を覚ますと、すでに午前2時を過ぎていた。岡野は慌てて工場に出たが、機械は材料が補給されなかったためエラーを起こして止まっていた。岡野が慌てて材料を補給しようとした時、機械からはみ出すように立っている制御盤に頭をぶつけてしまった。
 「いてー!」
 岡野はしばらく頭を抑えたが、イライラが頂点に達して、安全靴で力の限り制御盤を蹴った。
”ズバーン” けたたましい音と共に、機械の頭脳である制御盤がへこんだ。
 「きさまら機械は、設置するのにべらぼうな金がかかるのに、人間様がいないとなにもできんのかあ!。オレ様が通る時はぶつからないようよけろよ!。」
 岡野はそう怒鳴りつけると他の制御盤も蹴り始めた。そして工場の真ん中に立ち、大声で言った。
 「てめーら、明け方までにこの仕事を終えないと廃棄処分にするぞ!」
 そのとき、工場のどこかから声が聞こえた。
 「アイアイサー!」
 岡野はその声のする方向を見た。ぼやけた視力で工場を見回したが人のいる気配はない。
 「おい、だれだ!。」
 そう言った瞬間、それに応えるように機械の中から金属質の震えるような太い声が聞こえた。
 「アイアイサー!オカノシャチョウサマ!」
 その声が聞こえたとたん、機械は再び稼動し始めた。材料はクレーンが自動に動き、袋に入ったまま機械に投げ込み始めた。まるでオートメーション化された工場のように、リズムよく”ガシャーン、ガシャーン”と機械が音を立てる。製品は次から次えと機械から落ちてくる。
 「いいぞおまえら。そうだ、パートなんていらねえ。おまえらだけでできるんじゃねえか!。がんばれよ。昼の納品に間に合わなければ会社は潰れる。その時はみんな廃棄処分だぞ!。」
 岡野がそう言うとまた機械から金属質の声が響いた。
 「イエッサー!ムーブ!」
 岡野は赤くなった頬を引きつらせ微笑んだ。そしてしばらくその様子を眺めていたがしばらくして激しい頭痛に襲われその場に立っていることが出来ず、事務所にもどりそのままソファーに倒れた。

 翌朝、岡野が目を覚ましたところは病院のベットだった。
 看護婦の話によると、今朝、早川が事務所で急性アルコール中毒で倒れている岡野を見つけ、救急車を呼んだとのことだった。
 その日の夕方、いまだに独身の岡野に唯一の見舞い客がやってきた。早川である。早川は岡野を見ると開口一番こう言った。
 「おじさん、納品しといたよ。」
 「なに?納品しただと?」
 「そう。八田工業の仕事。おじさん一人でやったのかい?。上出来だと客先は喜んでたよ。」
 「なんと、あれは夢でなかったのか?」
 「夢?夢って、品物はちゃんと出来てたよ。でも機械がひどいことになってるね。」
 「なんだって、どうしたというんだ?。」
 「制御盤が全部壊れてるよ。もしかしておじさんがやったのかい?。」
 「あ、ああ、ついよぱらってしまって。」
 「おじさんは酔うとなにしでかすか分からないからなあ。あっそうそう、八田工業が来月は2倍に増量してくれって。でも機械を早いところ修理しないと間に合わないよね。」
 岡野はうつむき、しばらく沈黙した後言った。
 「お、おう。至急修理の手配をしておいてくれないか。」
 「おじさん。おれは退社したんだぜ。今日の納品はサービスさ。あとは自分でやりなよ。パートのおばちゃんたちもいないから、早く募集しなよ。」
 「なあ、おれのところでもう一度働かないか。」
 「ごめんだね。ぼく、もう一度都会に行くよ。こんな封建的な片田舎にはもう住むつもりないね。」
 「そうかあ。」
 岡野はうっすらと涙を浮かべ目を閉じた。
 早川が病室から出て行くとき、岡野は生まれて初めて早川に礼を言った。
 「ありがとよ。」
 岡野は自分には似合わないセリフが自然に出てきたことで、なにか自分の中で変わったような気がした。しかしその変化は一時的なもので、すぐにもとに頑固で粗雑で短気な自分に戻ってしまうことを感じていた。50歳の男がそう簡単に性格が変わるものでもない。岡野はそのようなことを繰り返す自分の姿が嫌で、いつしか他人と分かり合うことを避けてきたのだ。
 岡野の脳裏には早川と輪になって談笑する小川達の姿が浮かんだ。
 「いつからかおれはこんなに気難しい人間になたのだろう?おれが工場を立ち上げたばかりの頃は、ばばあ達とも休憩時間にはお茶を飲みながら談笑してたなあ。それからなんとかバブルを乗り越え、必死になっていたが、いつしかおれは金と工場のことしか考えないよいうになっていたんだ。」

 翌日、退院した岡野は従業員のいなくなった工場を掃除し始めた。
 あのとき、オートメーションのように威勢良く稼動していた機械は、オイルの臭いにまみれた蒸し暑い工場の中、灰色のコンクリートの上で沈黙していた。岡野によって破壊された制御盤は基盤が割れていて、とても稼動できる状態ではなかった。
 その後、岡野は機械の制御盤の修理を依頼したが、修理代は工場にクーラーを設置できる費用をはるかに上回った。 

 それから数日後、残暑の残る日々、クーラーのない蒸し暑い工場の中、岡野は汗をかきながら、とても間に合いそうもない受注品を生産していた。まるで機械に催促されるように、たった一人、狭い工場を急ぎ足で機械に材料を入れていた。出来上がった製品を仕上げているときも機械のエラー音に呼ばれ、慌てて材料を入れて、再び仕上げに入ると今度は出来上がった製品が機械にたまってエラーを起こす。
 外はセミの声が鳴り響き、工場の中は”ガシャーン、ガシャーン”とけたたましい機械の音、納品に間に合わなくても怒る相手もなく、今日も工場の中には奔走する岡野の姿が見えた。
 それはまさにオートメーションに組み込まれた人間の姿であった。