HOME

 密林の幼子

 ガイア仮説というものがある。
 地球を一つの生命と捉え、すべての自然と生物はガイアを形成する生命体と考える。
 もし、そうだとすると、その生命たちを支える自然を破壊した場合、地球はその自然の回復を試みるであろう。そしてその償いは人間達にふりかかるのであろう。それは破壊した当事者だけでなく、第三者にもふりかかる。


 斎藤と増田は小さな島の空港から出るとまばゆい南国の太陽を見上げた。
 青い空の下に広がるビーチ、そして水色の水面にさんご礁、それを取り囲む紺碧の海。
 「うわー、青い海だよ。これが本当の海の色だよ。」
 斎藤は空港からビーチのホテルまで続くきれいに舗装された坂道を駆け下りていった。その後を日傘をさした増田が微笑みを浮かべながらゆっくりと坂道を降りていった。
 空港のすぐ真下にはホテルがあり、そしてそのホテルの前は白いビーチが広がっている。
 ここは亜熱帯の島で、島ひとつを日本のリゾート会社が買収して開発したものである。南の空に映える白亜の巨大なホテル、しかし、このホテルを訪れる観光客は少なかった。
 この島が観光客でにぎわっていた頃は離島ブームであった。当時は定期船が近くの空港のある島から出ていたが、定期船では観光客の出入りが間に合わないため、リゾート会社は島の小高い部分のほとんどを削り、専用の空港を建設した。それでこの島にさらに大量の観光客が望めたはずであったが、しかし、空港建設が裏目に出てしまった。もともと周囲数キロに満たない小さな島なので、かつてはホテルと小さな港とビーチ以外は密林が覆っていて、緑とホテルの白と空と海の青が美しい色のコントラストをなしていたが、やがて空港が島の半分を占め、その影響で密林は枯れはて、すっかり離島のイメージはなくなってしまった。そのため訪れる観光客も激変し、今では観光客の少ない穴場でゆっくりと過ごそうとする者が訪れるのみである。

 斎藤と増田はホテルのチェックインを済ませると、閑散としたロビーのソファに腰掛けた。
 二人はフリーライターで、恋人同士であるが、お互いが担当する雑誌はライバルである。二人はこの旅行中は、仕事の話や活動は一切なしと約束していた。しかし、増田には2流雑誌に売るためのある事件の取材の目的があった。
 「洋子ちゃん、なんかやりたいことある?。」
 斉藤はソファーの前にあるガラスのテーブルにパンフレットをひろげ、増田に見せた。
 「なになに、クルージングに、ヨットで行く離島ツアーですって。ここが離島じゃないの?。」
 「どれもつまんないね。なあ、今日はビーチでゆっくりと過ごそうか。」
 「あ、あのー、武さん。わたしね、今日はこの島についたばかりで疲れてるの。明日、海に行くわ。ごめんね。今日は部屋で休んでる。」
 「なになに、そんなあ。」
 「明日、たっぷり遊ぶから。」
 「そう、仕方ないなあ。じゃあおれ一人でビーチに横たわってるね。」
 「本当にごめんね。」
 斎藤はソファーから立つと部屋に入り海水浴の準備をして更衣室に行った。更衣室の外側は芝地になっていてシャワーが立っている。そしてその前は広いビーチが広がっている。この島にはホテルと空港以外の建物はないためビーチ全体がホテルのプライベートビーチとなっている。
 「うわー、まさにおれだけのプライベートビーチ。....あ、しまった、水中眼鏡忘れてきてしまった。」
 斉藤は忘れ物を取りに部屋へ戻った。しかし、ノックしてもドアは開かず、部屋には増田はいないようだ。
 「なんだよう。部屋で休んでるって言っておいて。」
 斉藤はロビーで鍵を受け取り部屋に入った。
 部屋に入るとテレビの上にメモ帳が置いてあることに気付いた。増田のメモ帳である。斉藤は盗み読みはいけないと思いつつも、彼女が現在どんな記事を手がけているのかが気になって、メモ帳を読み始めた。そしてそこに気になる記述を見つけた。
 ”10月20日、ビーチホテルに事件のことで電話してみる。ホテル名と島の名前を出さないことで警備の金田さんと同意”
 ”いずれも衰弱死。男性3人、女性2人”
 「な、なんだよこれ。....あいつ....」
 その時、増田が部屋に戻ってきた。
 「きゃ、な、なによう!」
 「あ、おれだよ。」
 「なんだ武さんだったの。泥棒かと思っちゃた。」
 「おい、洋子っち、これどういうことだよ。」
 斉藤はメモ帳をちらつかせ、増田に説明を求めた。
 「な、なに、読んだの。」
 「読んださ、なんだよ変死体って。」
 「しかたないわねえ。いいわ、話すわよ。でもね、取材、今日だけだからあ、明日からは仕事のこと忘れるからさあ。」
 「いいから、おれに説明しろよ。」
 増田はしぶしぶこの島で起こった事件のことを話し始めた。

 この島では数ヶ月ほど前から、ホテルの反対側である北側ビーチで変死体が発見されるようになった。これまで男女5人の死体が発見されたが、いずれも衰弱死であった。衰弱に至った原因は全く不明である。いずれも、ビーチに向かう時は全く異常なかったが、翌日の朝、ビーチに倒れているのを発見された。
 ホテル側は観光客が減るのを恐れて、裏で検死官を買収し、これらをすべて溺死、および持病の発病で、死亡したのは病院と表明させた。そのため大きなニュースにならなかったが、増田はジャーナリストの友人より死因の噂話を聞いて取材を思い立った。
 増田は取材に関してはホテル側と、ホテル名と島名を隠し、2流ミステリー雑誌にのみ掲載するということで同意し、今日の昼より、警備員の許可のもと、現在は立ち入り禁止になっている北側のビーチに視察に行くことになっている。
 
 これらのことを聞き終えると斉藤は視察に同行させるよう言ったが、増田は頑なに拒んだ。斉藤は、さらに、事件のことは絶対に秘密であることを約束させられ、結局、表のビーチで過ごすことにした。しかし、恋人の自分にまで秘密にされていたことに対しての怒りはくすぶっていた。
  
 斎藤は更衣室から出ると波際まで駆け寄った。ビーチには人影はまばらで、砂浜にサービスで設置されているパラソルと椅子はどれも空いている。斎藤は椅子に座ると呼び鈴でボーイを呼び、アイスコーヒーを注文した。
 ボーイがアイスコーヒーを運んでくると裏側のビーチについて尋ねた。
 「あの空港の裏側にもビーチがあるんだってね。どうやって行くの。」
 「北側のビーチですね。空港のフェンス沿いに回っていけば行けますが現在立ち入り禁止です。」
 「立ち入り禁止、それはまたどうして?。」
 「それは危険だからそうです。毒をもったクラゲとか出るようです。ホテルでは監視できないので立ち入り禁止にしています。」
 「へえ、クラゲねえ。」
 ボーイがホテルに戻ると斎藤はすぐにアイスコーヒーを飲み干し、ビーチから出た。 
 ”北側のビーチに行ってみよう。洋子より先にスクープだ。”
 斎藤はライター魂に駆られるようにそのままの格好で空港に向かい、フェンス沿いの歩道を伝って北側へと周った。北側に出るとビーチに降りる階段状の歩道が見えた。歩道入り口にはロープが張ってあり、「立ち入り禁止」と英語と日本語で掛かれている。
 「はいはい、関係者以外立ち入り禁止ね。でもおれジャーナリスト。OKね。」
 斎藤はロープの下をくぐりビーチへと降りた。

 北側のビーチは南側に比べて空港の敷地のコンクリート壁が砂浜まで張り出していて、そのためか海水がよどんでいる。南側は砂浜とホテルの芝地の境に数本のココヤシが生えていたが、このビーチには木が一本も生えていない。波打ち際に立つと、波に運ばれてきたサンゴのかけらが指先に当たる。
 「なんだ、ここはまた寂しいところだなあ。サンゴも死滅してるみたいだ。」
 斉藤は砂浜を見渡すと波打ち際に、波と戯れる人影を感じた。それは幼子である。一歳になるかならないくらいの男の子が裸で波打ち際に座わったりよつんばになったりして小さな手のひらで波をたたいている。
 「こんなところに赤んぼう?おいおい親はどうしたんだ。ほかに誰もいないぞ。」
 斎藤は幼子に近づき声を掛けた。
 「ねえねえぼく、なにしてるの、パパとママは。」
 「パパ、ママ、」
 幼子は斎藤を見ると砂浜に座り手をたたき始めた。幼子の肌はとてもきれいで、頭には薄く細いブラウンの髪の毛が覆っていて、目は青い。
 「まさに天使のよう、なんて美しい子だ。」
 斎藤はそのかわいさに思わず幼子を抱き上げた。斎藤の指先はやわらかい幼子の皮膚にふれた。とても心地よい感触だった。
 「そうだおじさんと砂遊びしよう。」
 斎藤は幼子を砂浜に降ろし、砂を集めようとかがんだ。
 その時であった。斎藤は人差し指の先にモゾモゾとした感触を感じた。そして指先を見ると指先の表皮から緑色の太さ3ミリほどのハリガネ状のものが生え出してきた。
 「あああ、これは、これはなんだ。」
 その緑のハリガネ状のものは長くなると曲がり始め、音楽のト音記号のようになった。そしてすぐに直線状になり、長さ20センチほどになると、斎藤の人差し指から滑るように抜け出た。それが指から滑り落ちそうになると斎藤は慌ててつまみ取った。その緑のハリガネ状のものは根元に細かい根のようなものが生えていた。
 「パパ、ママ、マンママンマ」
 幼子が斎藤の指先を見つめてはしゃぎ始めた。幼子がはしゃぎ始めると斎藤は自然と田植えをするときのような腰をかがめた姿勢を取り、指先のハリガネ状のものを砂浜に挿した。するとハリガネ状のものの先端に突然葉が現れ、それは一瞬にしてに成長し、ココヤシの木となった。
 「おお、なんていうことだ。一瞬にして木になった。」
 「パパ、ママ、マンママンマー。」
 幼子はそのココヤシの木を見るとおおはしゃぎした。すると再び斎藤の指先に緑のハリガネ状のものが現れ抜け落ちた。斎藤はすぐにそれを拾い砂浜に植えた。すると今度はマングローブの木が生え始めた。そして木の根元にどこからか水が流れてきて小川が出来上がった。
 ”こんなところに小川?”
 小川の元のほうを見ると空港のフェンスのコンクリート台の根元から水が湧き出している。そして斎藤が植えた木々の奥にはいつのまにかたくさんの木が現れていた。
 「なんだ、夢ではないのか?、不思議だなあ?.....君はいったい何者?....あのジャングルは?
 きっとおじさんが植える前に誰かが植えたものだね。
 ようし、おじさんがもっと植えてあげよう。」
 「パパ、ママ、マンマ、マンマ。」
 幼子がはしゃぐ姿を見て斎藤は嬉しくなった。
 「ではつぎは何を植えよう。パンノキ、バナナ、マンゴー。」
 次から次へと斎藤の指先からはハリガネ状の苗があらわれ、それは砂に植えられるとパンノキ、ゴムノキ、バナナ、マンゴー、ガジュマル、バンレイシなどの木になっていった。そして空港によって狭まれられたビーチの半分はやがて密林になった。
 幼子は斎藤の動きに合わせて砂浜をハイハイで移動しては座り、透き通るような青い目で斎藤を見つめていた。
 「ようし、このビーチをジャングルに変えよう。おなかがすけばバナナ、のどが渇けばココヤシ、それに甘酸っぱいアセロラも植えよう。」
 斎藤は休むことなく苗を植えつづけた。しばらくして自分の体が苗を出すたびに衰弱していることに気付いたが、はしゃぐ幼子の姿を見ると植樹をやめる気が起きなかった。
 やがて疲労のためひざがガクガクしはじめた。
 「そら、君のジャングルだよ。ジャングルに秘密のおうちを作ろう。朝ご飯はバナナ、昼はパンノキ、夜はホテルでディナー。」
 斎藤はさらに植樹を続け、やがて力尽きて砂浜に倒れてしまった。
 
 「武さん、武さーん。」
 日が真上に昇るころ、斎藤は甲高い女性の声に目を覚ました。
 「武さん、大丈夫、ひどい汗よ。それにとてもやつれている。」
 「ああ、洋子ちゃん。見て、この美しいジャングル。」
半開きのうつろな目で斉藤は増田を見つめた。
 「なに言っているの。ここは砂浜よ。....ねえ、すぐに病院へ行かないと。私、ホテルに連絡してくるわ。」
 増田はリュックからペットボトルを取り出し斎藤の頭を支えて、水を飲ませた。
 「洋子ちゃん、見てよあの美しい子供。君も手伝って、ここをジャングルに戻そう。あの子の家を取り戻そう。おれたちが奪ったんだ、だから、だから戻さなければ。」
 「なに、どうしたの、だれもいないわ。武さん!。」
 斎藤は薄れゆく意識の中でジャングルを見つめ、ココヤシの木陰で戯れる幼子を見つめた。
 「まだ半分、まだ半分だね、もう少し植えないと、あの子のために。失われたものをもどしてあげよう.......」
 斎藤はそう言うと意識を失ってしまった。
 「武さん、何があったのよ、ここでなにが、なんであなたがこんな目に。」
 増田は斎藤の頭を砂浜にそっと置いた。そしてホテルの従業員を呼ぼうと振り返ったとき、波打ち際に人の気配を感じた。
 その時、先程まで斎藤以外の人間はいなかったはずの砂浜に波と戯れる幼子を見つけた。
 ”ホテルの従業員の子供かしら?でもどうしてひとりで?”
 増田は不審に思いながらも幼子に近づき、言った。
 「ぼく、どうしたの、どこの子なの?ひとり?....なんて美しい子なの。」
 増田は幼子の姿に感動し抱きかかえた。幼子は青く透き通った目で増田を見つめはしゃいだ。
 「パパ、ママ、マンマ、マンマ。」
 増田はふと周りを見ると、自分の立っている場所から左側、ビーチの約半分がいつのまにか密林に覆われていることに気付いた。そして指先にモゾモゾとした感触を感じ、幼子を砂浜に降ろし指先を見つめた。幼子の美しい青い瞳も増田の指先を見つめていた。

 翌日、この島の北側のビーチで若い日本人の男女の変死体が見つかった。斉藤と増田である。どちらも衰弱死と見られたが、なぜか表情は満足したような笑みを浮かべていた。このことは増田の友人にスクープされ、この変死体発見がニュースで放映された。
 この事件が明るみに出たことにより、やがてこの島への観光客は途絶えてしまった。そしてこの島は閉鎖された。島は廃墟となった白いホテルと島の丘陵部を削った不自然な飛行場の跡地を残し、今では地元の漁師達が付近を航行するだけの孤島となった。
 
 この島の近くで漁をする漁師達は、時々夕暮れや早朝にこの島を覆うジャングルのシルエットを見るという。それはかつてこの島を「緑の宝石」と呼んで親しんでいた地元漁師にとっては、懐かしく美しい幻の光景であった。