HOME

 村 

 佐山は小太りで髪の毛の薄い中年であるが、若い頃は贅肉も少なくスポーツマンであった。プレイボーイでもあった彼は、中年に差し掛かる頃、10歳年下の若くてかわいい女性と家庭を持った。その妻が現在、出産のため実家に帰っているが、今日は子供たちを連れて妻に会いに行く予定である。
 早朝、佐山は長いローンを組んで買った自慢のシルバーのワゴン車に子供達を乗せて都内を出発した。妻の実家は日本海側にあり、高速を降りてから2時間ほど掛かる。途中で子供たちが退屈しないように都内のコンビニでジュースやお菓子を買い、ついでに最新の地図帳も買った。
 やがて自動車は高速に入った。
 子供たちは自動車が都会のビルの谷間から抜け出し、5月の晴れ渡った空を背景にした緑の山並みが見え始めるとはしゃぎはじめた。子供は今年小学3年生になる妻に似たかわいい娘と、幼稚園の年中になる佐山に似たスポーツ好きの息子の二人である。今日、母親がおなかの中の子供の性別を教えてくれる予定なので、二人はおとうとかいもうとかということで騒いでいた。
 
 昼近く、高速を降りるとインターチェンジ近くのコンビニに寄り、弁当を購入した。
 佐山はコンビニの駐車場に自動車を止めたまま地図帳を開いて見ていた。佐山は地図に妻の実家のある村に通ずる新しい道路があることに気付いた。いままでは海岸沿いを通るルートであったが、新しい道は山の中を通り抜けていた。そのルートのほうが距離が短いようなのでその道を通ることにした。 
 やがて自動車は民家の密集地を抜けるとカーブを登り始め、峠を越えた。新しい道路はきれいで、道幅も広かった。街路樹も整備されており、その根元にはつつじが植えられている。 道路を飾るつつじのピンクの帯は峠のカーブにも続いており、花は見ごろの満開であったが、誰がこの花を見るのだろうと疑問に思うほど、道路沿いには人影はなく、すれ違う自動車も無かった。
 峠を抜け、しばらく沢沿いを走り、小さな集落をいくつか抜けたが、結局、一台の自動車ともすれ違うことは無かった。
 「日本は金あまってんのかなあ。おれの建設事務所は仕事無くて大変なのに、こんなど田舎に立派な道路造るなんて。こんなところに道路造るなら東京の渋滞をなんとかしろよな。」
 佐山は建築設計士であるが、公務員など公共の職種の人間がきらいであったので、すこし腹立たしい気持ちでその立派な道路を走り抜けた。道路は全く人家の無いところでも歩道が整備されていて、最新の曇り止め機能でワイドなカーブミラーがいたるところに設置されている。そして緊急電話も数箇所設置されていた。
 再び峠に入り、緩やかなカーブを下ると、民家と団地が混在する、わりと大きな集落に出た。
 民家はどれも平屋で新しかった。団地は新築のようで、2階建ての細長い建物が10棟ほど並んでいる。ちょっとした密集地であるが、道路には人影は全く無く、閑散としていた。
 しばらく団地沿いを走るときれいな公園に出た。ブランコ、シーソー、すべり台、屋根つきのベンチにテーブル、きれいで大きなトイレ。公園の広さはサッカーコートほどである。
 佐山と子供たちはその公園で弁当を食べることにして自動車を公園沿いに止めた。
 佐山は自動車から降りると、その道路の先に役所のような2階建ての建物があることに気付いた。その建物付近の道路には自動車が数十台駐車してあったが、どれも古びた紺色や深緑色のセダンや白いワゴン車で、それに比べると佐山の自動車は、はやりのシルバーのワゴン車で新車である。佐山は、「田舎者の乗る自動車ってあんな程度だろう」と、都会者の自分を自負した。

 佐山と子供たちは、他に誰ひとりいない公園のテーブルにコンビニの袋を広げ、 弁当を食べていた。
 弁当を食べ終わると、子供たちは遊具で遊び始めた。佐山はベンチにその小太りの体をもたれさせながら、この町の建物を見渡していた。
 そのとき設計士の彼にはこの町の建物や街並みの特徴にある共通点があることが分かった。どの建物もバリアフリーに設計されているようなのだ。
 佐山は遊具で遊ぶ自分の子供たちを見て、その遊具の違和感にも気付いた。どの遊具も子供向けにしては少し大きめである。佐山にはだんだん疑問が湧いてきた。休日なのにこのあたりは誰も外出していない。そして公園には大人はおろか子供もひとりもいない。いくら少子化社会とはいえ、これだけの町で子供の遊ぶ姿がまったく見られないのは考えられない。それともここはまだ開発したばかりの町で、誰も移住していないのだろうか?。不思議な町だ。
 疑問が深まりつつあったその時、 キンコンカンコーンと学校のチャイムのような音が鳴った。どうやらあの役所のような建物から聞こえてくる。
 「なーんだあれは学校だったのか。休日なのに授業か。」
 建物からは校長らしい老人が出てきて、建物から出て行く人達を見送り始めた。
 佐山は違和感から開放され、安堵感につつまれた。しかし、すぐにそれは失われた。
 学校と思われた建物からは子供達ではなく、大人達が出てきたのである。それも100人近くの大人達が列を作り、建物の敷地を出るとそれぞれの方向に散らばっていった。その大人達はだれもが80過ぎの老人のように見える。
 そのなかの10人ほどが公園に向って来た。ちょうど男女半々で、ある人は男女で手をつないでいる。ある人は口ひげに牛乳が染み付いていて、またある人は片手にかじりかけのコッペパンを持っていた。80過ぎに見える彼らだが、その姿はまるで子供である。
 このとき佐山の疑問は解けた。ここにはもともと子供はひとりもいない。この公園の遊具はすべて老人のためにある。建物も、そして道路も老人のために設計されている。この町、この新しい道路の始まりから行き着く先までが老人だけの老人のための町なのだ。
 佐山は思った。ここは老人が老人を教育し、老人同士で助け合っている、超高齢化社会の理想郷ではないのかと。
 老人たちは、やさしくも悲しそうな目で佐山の子供達を見つめていた。子供達は慌てて佐山の元に駆け寄ってきた。子供達が退くと老人達は遊具に集まり遊び始めた。
 佐山はこの町の人々を田舎者とあざけるように思ったことに後ろめたさを感じ、子供たちを自動車に乗せた。佐山は運転席に座るとすぐに地図帳を開いて、この場所を探した。地図にはここは老楽村と記されている。そしてその下に東京都特別区と記されている。ここは東京都の飛び地なのだ。公表されることも無く、完成するまで地図にも載せられなかった村なのだ。もしかすると公表されていたが、佐山自身が高齢化問題に関心なく、知らなかっただけかもしれない。
 佐山は自動車のエンジンをかけると、ゆっくりと走り出した。先程まで人影の全く無かった道路沿いは、今は老人たちでにぎわっていた。ランニングをする人、ただ立っているだけの人、じーと佐山の自動車を見つめている人、シニアカーで堂々と道路を横断する人。

 やがて自動車は町を抜け、新緑に包まれた峠を越え、さらにしばらく進むと水田の間を抜ける古びた道路に出た。普通車がすれ違うのがやっとである、舗装も整備されていないようなボコボコの狭い道路だが、佐山はほっとした安堵感を感じた。
 佐山は、ふとルームミラーで後ろの座席の子供達を見た。子供達は長い道中の疲れからか、肩を寄せ合い眠っている。
 佐山は、そのかわいい寝顔を見ながら思った。
 この子たちが老人になる頃、この国すべてが老楽村になるかもしれない。いや、おれ自身がもうすぐこの村に住むことになるかもしれないと。